書名 | 著者 | 出版社 | 発行年 | 購入 | 備考 |
光の都市 闇の都市 | 栗本慎一郎 | 青土社 | 昭和58年(1983) 第5刷 | 1990年頃 |
章 | タイトル | キーワード・メモ・感想等 | 参考文献 | 備考 |
1 | 光と闇のフォークロア | |||
光の都市・闇の都市 | ・双分制(P-30) |
映画 「天井桟敷の人々」 悪霊 (ドストエフスキー) 道徳の系譜 経済と文明 人間の経済 経済人類学 幻想としての経済 戸隠伝説 (半村良) 青空の矢 (A.ケストラー) |
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闇の都市と見世物 | 江戸歳時記 (宮田登) |
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都市のレトリック | ||||
伊藤晴雨の 都市的美学 |
<深層>の具体的説明(中略)恐ろ しくて、かつ哀しいことだ(中略) 自分の言語で考える以外はない (P-90) 食べることとはエロティシズムと 通底する「無駄」な行為である。 (P-95) 一体、誰なのだろう。このような 生物を創り出したのは。 (P-100) |
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排除の写真学 | 実は、私たち人間存在が、時間 及び空間を認識するということ 自体が、カメラを持たずに時空を 切っているということなので あった。(P-124) |
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男と女の排除学 | パンツをはいたサル | |||
千年女王 マルゲリータは どこに |
私自身は、経済とは何かを考えて ついに人間におけるエロティシズム の問題こそ根源にあることに 気付いてしまった。(P-138) |
ルネサンス周航 (樺山紘一) |
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わが光と闇の ブタペスト |
数理経済学のメッカの一つ でもあるハンガリー(P-146) マジャールの首都ブタペストを 考えることなくしてポランニー は理解することができない、 (P-154) |
人間の経済 |
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2 | 遊びまたは文学 | |||
遊びと殺戮 | 幻想としての経済 経済人類学 エネルギートとエントロピー の経済学 呪われた部分 本能 (ロジェ・カイヨワ) 暗黙知の次元 |
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恐ろしき存在 としての遊び |
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「笑い」についての 覚え書 |
二番煎じ ものぐさ 精神分析 仕掛けとしての文化 (山口昌男) パンツをはいたサル |
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文学者は鬼を 視ているか |
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3 | 戦争と国家 | |||
幻想としての戦争 | クラウゼビッツによっていると 人は戦争を技術として検討 すべき対象としてもいいような気に なり<中略>しかし、私は、(略) 技術論的議論には何の意味も価値も ないとものだと言って はばからない。(P-198) 経済人類学は、非市場社会の 安定性を強調するが、殺戮や 戦争のないロマンチックな楽園だ などと一言半句も言うつもり はない。(P-205) 非日常性の侵入ということだが、 これは一種の象徴的な死を 意味する。(P-207) 戦争論に喜び、戦記物を好んで 読む人に判ってほしいものだ。 もしも、学校化社会にいらいら しているならば、他人の犠牲の上に それを満たそうとせず、自らを 自らの供犠に捧げることが最高の 解決法だということを。(P-209) |
幻想としての経済 戦争と平和 日本書紀 戦争/政治/実存 (G・バタイユ) 経済人類学 裸のサル 攻撃 (K・ローレンツ) ピグミー森の猟人 (C・ターンブル) |
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不可視の国家・ <習俗>としての 国家 |
他方、共同幻想は一個で存在 するのである。(P-212) 家族が、まず最初に、時間、 空間の外化に係わることになる。 (P-213) ・リビドー(P-229) 従って、国家、自我、時間、空間、 エロティシズム、交換=蕩尽が すべて通底する問題であるのは 当然である。(P-230) |
法・社会・習俗 共同幻想論 経済人類学 幻想としての経済 |
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鯨の黙示録 | パンツをはいたサル 裸のサル ルネサンス周航 (樺山紘一) 千年大国と未開社会 (ピーター・ワースレイ) |