書名 | 著者 | 出版社 | 発行年 | 購入 | 備考 |
ニッポンの終焉 | 栗本慎一郎 | 現代書林 | 1989年 初版第1刷 | 1989年頃 |
章 | タイトル | キーワード・メモ・感想等 | 参考文献 | 備考 |
1 | 文明興亡の法則 | 地域がばらばらなのに、各文明は 同じ頃興隆し、同じ頃滅亡している。 (P-21) マホメットは偉大な改革者であり、 政治、経済、宗教のすべてにおいて システムを根本改革したのである。 (P-23) 情報の蓄積と情報の体系的伝達、 これが文明の条件である(P-24) 一度、衰退した文明、地域、民族は、 ただ荒廃する。(P-27) |
パンツを捨てるサル |
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2 | 日本文明とは いったい何か |
日本におけるかなりの水準にある 市場の全国的ネットワークの存在が すでに戦国時代に来日したスペイン人 のキリスト教宣教師を驚かせている。 (P-39) 商品の価値は、客観的な投入労働量 などではなく、情報のあり方によって 決定されているのである。(P-48) ヨーロッパには(中略)自意識が スピノザ以来の哲学の伝統として 芽生えていた。(P49) 市場社会とは、情報社会なのだ。 (P-52) そもそも近代科学というも自体が 情報の集団的、均質的処理のプロセス の法則化なのだ。(P-56) |
幻想としての経済 経済と文明 人間の経済 経済人類学 |
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3 | 日本文明は、どこから 衰退を開始するのか |
情報がメディアの手を経ずして、 直接、民衆に浸透し始めている。 (P-64) |
パンツを捨てるサル ニューロマンサー (ウィリアム・ギブスン) メディア・セックス 消えるヒッチハイカー あざらし戦争 (ジャニス・ヘンケ) 「アグネス論争」を読む |
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4 | 日本の自殺 | 日本で個人がいきなりナマの情報に 接して、これを処理しなければならない とすると、われわれ日本人はそれが 簡単にできないというばかりでなく、 精神は虚弱化し、ときには分裂さえ してしまう。(略)自分で情報を判断して いくこと、(略)その訓練は本来なら 学校でなされることが望ましい。 (P-135〜6) |
試練に立つ文明 (アーノルド・トインビー) 大衆の反逆 (オルテガ・イ・ガセー)< 朝の影のなかに (ヨハン・ホイジンガ) 日本の自殺 (グループ一九八四年) |
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5 | 報道メディアの 自殺的衰弱 |
西欧崇拝主義も西欧嫌悪主義も どちらも間違っているのだ。 (P-150) 冒険家ピサロがやってきたとき、 「インカはすでに滅んでいた」のだ。 (P-151) 彼は(中略)コロンビアからわざわざ 計画的かつ意識的に滅ぼしに やってきた。(P-152) 「南米の良心」は(中略)知識人の あり方としては伝統的で古くて 仕方がないものである。(P-159) 国の立て直しは、情報の公平な収集と 情報機構の立て直しであり、 それに伴う制度の強化、合理的なる法 の整備からしかできない。(P-159) バリ島の神話や伝承はじつに見事に 柔軟に現実に対応して改変されて きたか、(P-160) 有能でないものは有能でない。まだ 努力すべきものは、努力すべき だと伝える。この当たり前のことが わからぬ者たちが主流の時代に 日本は入っているようだ。(P-180) |
パンツを捨てるサル パンツをはいたサル 百年の孤独 (ガルシア・マルケス) 神々は渇く (アトナール・フランス) |
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6 | コンピュータが時代に もたらすもの |
よく、「木を見て森を見ず」というが、 【マイケル・ポランニーは】それは 言葉だけで実は嘘だと言うのだ。 (P-210) 右脳がおおまかにものをとらえる というのが、確認もされていない ことなのだ。(P212) |
パンツを捨てるサル ニューロマンサー (ウィリアム・ギブスン) 物語消費論 (大塚英志) 意味と生命 |
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7 | 何をなすべきか | 国家は、自分たちそのものであり、 それにより生きることも死ぬことも 同時的にあるものなのだ。(P-217) 個人が自立し、主体的に情報を 処理するについては、(略)生まれ ながらの環境や個々別々の生活に おいて自然に身につくだけの情報 処理能力だけでは決定的に不足 である。(P-219) |
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あとがき | 歴史の終わり (F・フクヤマ) |