書名 | 著者 | 出版社 | 発行年 | 購入 | 備考 |
科学と日常性の文脈 | 村上陽一郎 | 海鳴社 | 1992 第10刷 | 2023年(中古) | 工事中 |
節 | タイトル | キーワード・メモ・感想等 | 参考文献 | 備考 |
序論 | ||||
第一章 | 日常的世界の成立 | |||
1 | 日常的世界の性質 | |||
2 | 「われわれ」構造と 日常的世界 |
・メルロ・ポンティ 「意味に縛りつけられている」 |
緑のカプセルの謎 (ジョン・ディクスン・カー) |
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3 | われの文脈依存性と 「われわれ」 |
人間の身体の内と外という区別が、 常識的に信じられているほど自明 でない(以下略)(P-54) ことばは、何らかの形で、世界を 分節化し、分析する機能を持つ ことは確かだろう。(P-64) ・「原われわれ」−「われ」− 「われわれ」 |
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第二章 | 日常的世界と科学的世界 | |||
4 | 日常的世界と 日常言語 |
「灰皿」の意味を知る、という ことは、(中略)その日本語の語彙 全体が有機的な関連性のネット ワークにおいて張り巡らす意味の 空間のなかで、灰皿という語がどの ような位置を占め、どのような 働き方をするか、ということを知る ことであり(P-94) |
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5 | 「われわれ」の二重性と 「世界」の二重性 |
自然科学者が、今日の近代社会の なかで果たしている役割の一つは、 原始社会における巫女や呪術者の それに見事に一致する。 (P-126) 日常言語は、単に伝達の手段では なく、(中略)同時に「われ」をも 支配する媒体であることになる。 (P^129) |
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6 | 二重構造の一般化 | われわれが、日常言語によって 「世界」を分節化し、意味付ける ことを学び、かつそのことを通じて 「世界」と「われ」とを支配する ことを学んで行く過程のなかで、 「原われわれ」の状態のなかでは 可能性として残されていたいかに 多くのものを失っていったかには、 思いをとめておく必要があろう。 (P-142) |
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7 | 「日常言語」と 「理論言語」 |
「理論言語」を上位に上れば 上るほど、知覚世界との直接的な 関係は希薄になり、トリヴイアリティは 失われ、理論のネット・ワーク による顕性化の条件が明確に なってくると言う一般的傾向が あることは否定できない。 (P-159) その共同体の内部では、その 「理論言語」が「日常言語」と なっているわけだ。(P-159) |
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第三章 | 科学理論のダイナミックス | |||
8 | 理論言語の変換 | ・「規約主義」 ・ゲシュタルト変換 ・科学革命、パラダイム ・P・ファイアーベント |
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9 | 新しいモデル | |||
結語 | 従来、ともすれば科学は、自然の なかに客観的に実在する秩序や 法則であって、言わば人間から切り 切り離されたそれ自体で存在する と考えられがちであった。(中略) 科学は、漸く、人間から離陸した、 特殊な体系ではなく、善くも悪くも、 人間や社会のありようと切り離す ことのできないものである、 (P-211) |