書名 | 著者 | 出版社 | 発行年 | 購入 | 備考 |
人類新世紀終局の選択 | 栗本慎一郎 | 青春出版社 | 1991年 第10刷 | 1991年 10月 | 文庫化にあたってのタイトルは 「人類は思考する"金魚"である」 |
章 | タイトル | キーワード・メモ・感想等 | 参考文献 | 備考 |
プロローグ | "ギリギリの人類"がこの先どうなるか、 私にはかなりの部分が明らかに 見えている。(P-16) 肉体を持たない人間が遠からず現れる のは必然である。(P-25) |
アウト・オン・ア・リム (シャーリー・マックレーン) |
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1 | すでに起こり始めている 驚くべき現象 |
生命体を含むすべての物質が最終的に 振動とか波動によって成り立っている、 振動と形とがつながったものとして 理解されるようになっている。(P-37) 我々のもっている世界は一つの要素を 組み立ててつくっている一次元の 世界に過ぎない。(P-72) |
生物は磁気を 感じるか(前田担) パンツを捨てるサル 意味と生命 |
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2 | 生き残れる精神、 滅びてゆく精神 |
物事は根本的には流動的なのだが、 人間にとっては固定的にあらわれる。 (P-76) 人間を人間たらしめている「統一する 原理」(中略)形もなく、目に見えないが、 モザイクとしての生命体を統一し、 存在させているもの(中略)肉体が なくなっても存在するものである。 (P-89) 彼【マイケル・ポランニー】はすでに 一九五〇年代に「生命の原理の根幹は イマジネーションである」と言い切って いる。(P-91) 結局、「ある」ということは、「あると 見える」といことだとわかってきた のである。(P-99) 人間が共同に認識するといことが、世界 認識の根源だというところに帰着 したのがモーリス=メルロポンティで ある。(P-100) 人々が事実であるとか、存在している とか思うとき、決して、勝手に 思っているのではなく、あるシステム (根拠)をもって見ているという ことだ。(P-102) ユキスクルの研究で、ダニやネコの眼の 構造が我々とはちがい、その結果 まったくちがう世界の形状を見ている ことがわかった。(P-104) 科学的に、一つ一つを当たり前に積み 重ねていって推測すれば、そして、 結論を強側図に言えば、「人間は形を 失くす」ことになる。(P-115) 最先端の物理学、とくに原子および 素粒子物理学は(中略)人文、社会科学 などすべての科学が、その潜在的な哲学 の展開を図らざるをえない(P116〜7) |
パンツを捨てるサル 意味と生命 |
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3 | 「肉体を持たない人間」 が創り出す新世界 |
死語の世界も輪廻転生も当然あるわけで (中略)「知覚とは何か」「自我とは何か」 を考えていくことでより明快に 見えてくるはずだ。(P-133) 一九七〇年代、"形をつくる原理が 地球上にはある"ということが一番単純 な形で発見されたのが「ベルーソフ・ ザボチンスキー反応」である。(P-134) 想念が形をつくるということが解明 されたら、我々は間違いなく肉体が なくても存在しうることになる。 (P137) |
見えるものと 見えないもの (メルロ=ポンティ) |
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4 | 「永遠の自分」という 謎を解く知のカギ |
ポランニーが存在とは原理であり、 全体性であり、肉体そのものではない、 と捉えていくのも、じつは肉体という 物質的対称があってはじめてつかめて くることだからだ。(P-146) |
輪廻転生 (J・L・ホイットン) 縄文式頭脳革命 ??? (スウェデンボルグ) |
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5 | 人間の運命を変えていく ウイルス |
宇宙の「場」というのは、宇宙が大きな 金魚鉢であって、我々はその中に いて、金魚鉢の水にあたるようなものが 宇宙に充満している−そういうところに 我々がいるのだというのがマイケル・ ポランニー、及び、経済人類学の説だと いってもよい。(P-188) |
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6 | 宇宙から交信してくる 危機の予告 |
縄文式頭脳革命 |